マザーテレサの言葉「好きの反対は嫌い。ではなく無関心。」

好きの反対は嫌い

皆様、こんばんわ。
相変わらず鬱状態のブログ主のアナザースカイ(h_anazawa0203)です。

4月も後半戦に入りましたが、いろんなことが少しずつ動き始めている気がします。
でも、あまり行動と結果が結びついている気がしないので結果を意識して5月は行動していきたいです。

しかし、確実に前には進んでいる気がするので、前進はしているのかなと思います。

さて、今日は少しブログ記事の思考を変えて哲学的話をしようと思います。

「好きの反対は嫌い。ではなく、無関心」

これはマザーテレサは言った言葉ですが、これってその通りだと思います。

嫌いと言う言葉は相手の存在を認めていると思います。だから、好きって気持ちに変わる可能性があります。
しかし、無関心はその人の存在さえ認めていないんです。

非情と言ってもいい言葉です。それが一番人を傷つける罪深いことだ。と言う意味だと思います。

だから嫌いの反対もある意味では無関心だと思います。
そう考えると、好きと嫌いは表裏一体なんではないかと思います。

よく第一印象で嫌いだったのに、いつのまにか付き合ってたとかあったりしませんか(嫌い→好き)?
逆に恋人から一方的にふられると、愛情が憎悪に変わることがありませんか?

仲の良かった兄弟や親族が遺産相続を巡って対立すると、他人同士の場合よりも強く憎しみ合うケースってよくある話です(好き→嫌い)

それでは、無関心の反対はなんだって考えたたら、それは関心だと思っています。
好きも嫌いも結局は関心をもっていることだと思うからです。

好きはもちろんだが、嫌いだって相手のこと考えていることだと思うので(自分の中で存在を認めている。)関心があるってことなんではないのかって思います。

そして、関心っていうのは執着心に左右されています。
執着心がなくなったら関心ってなくなることがありますし(典型的なのが一時的なブームですね)、場合によっては自分の中では必要ない(関心がなくなった)ってことで捨てる人もいます。ある意味で、子供は興味があったオモチャを興味がなくなったら触りもしないことがあるので子供の関心の変化は凄いと思います。

だから、必要なくなったら簡単に捨てられる人ってのが「冷たさ」思います。

逆の優しい人の定義はわかりません。
仮に関心がなくなっても付き合い続けるのも、関心なくなったからすっきりと別れるのも、人にとっては両方優しさと定義する人がいると思います。

結論をいうと「好き≠嫌い」「好き・嫌い=関心≠無関心」「関心=執着心が強い」

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